感情は押し流されて消えゆく
まだ死の意味をわからない子供が毎朝「ちびはもういないよ」という。
努めて冷静に「そうだね、死んじゃったからいないないね。もう会えないね」と答えるが何の感情も込めることができない。
もういない現実。
でもその言葉を言われると、聞き流している自分がいる。
どれだけ泣いたって帰ってくる事はもうないのだ。子供の言葉は真実。
わかってる。わかってる?
家にいても泣き暮らすばかりで、子供や夫も心配するので仕事へは普段通り行く。普段通り。
そして笑顔を作る。
可愛い子供を見かければ心が暖かくなるし、仕事をしない同僚にイラつきもする。心の底に重い悲しみを落としていたとしても、そうしてる間にはちびのことを考えずに済む。
考えずに済む?
このまま、喜びや苛立ちや怒りや驚きや様々な感情にこの悲しみを埋没させていくのか。
そうしなきゃいけないし、そうなるのだろう。
どんな感情も時間とともに薄れ流れゆく。
でも、この悲しみを押し流してしまったら、私の中でちびも薄く遠くなってしまいそうで怖い。
いつまでも近くにありたい。
それがいかに現実的でないとしても。
私が一生手に入れることができないと思っていた愛をくれたちびを忘れるなんて怖い。
執着?そうだね。